常磐の最果てから

福島県いわき市在住のライター、小松理虔のブログ。

丁寧な暮らしという名の苦行

福島県は広い。自分の地元のこともよくわかってないのだから、そこからひょいと遠くに行けば、自分の知らないことばかりだ。ぼくの暮らすいわき市小名浜から車で1時間半の船引町に、こんなすばらしい場所があることも、今日初めて知った。

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名を「蓮笑庵」という。自らを画工人(がこうじん)と称した、画家であり詩人であった渡辺俊明のアトリエ兼工房だった場所だそうだ。今日、とある仕事でその場を訪れることになったのだけれど、なんというか「自然にとけ込んだ」というのとも違うし、「静謐さ」みたいなとも少し違う、どことなく「思想」をまとった場所のように感じた。

蓮笑庵は、船引町の外れ、芦沢地区と言うところの里山にある。茶室やカフェスペース、絵本小屋、アトリエ兼ギャラリー、応接室など大小さまざまな建物が並んでいる。どれも、俊明の存命中に作られたもので、現在は、ご家族や常駐スタッフの手によって維持・管理されている。茶道教室や研修施設としての利用など、日々の暮らしを豊かにするためのプログラムも提供されているそうだ。

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それぞれ建物の中を見学させてもらった。特に応接スペースとなっている「万菜」という建物がすばらしかった。柱や桁、建具ひとつひとつにも職人の技が活かされている。季節感のある草花があちこちに飾られ、柱や壁にも俊明の作品が展示されている。四季折々の花鳥風月を楽しむような、俊明のシンプルで上質な暮らしぶりが目に見えるようだった。

しかし一方で、そうした俊明の暮らしへの眼差しが感じられる分、それが「隙のなさ」として感じられる面もあった。ぼくがテキトーな人間だからなんだと思うけれど、思わず背筋が伸びるような、そんな空気感。さきほど「思想」と書いたけれど、まさに何かを「学ぶ」には適した場所なのは間違いない。

精神修養というか、内省というか。おそらくこの場所は、俊明が生きていた頃も「地域に開かれた」ような場所ではなかっただろう。思考が内に内に向くような空気があるから、たぶんそうだったと思う。建物の外に出れば自然が無造作に存在しているようにも見える。でも、よく見れば植木職人の手が確かに加えられている。実にきめ細やかに、そして丁寧に管理されている場所なのだ。

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お茶を頂いた。お湯が柔らかい。風の冷たさが心地よかった。

丁寧な暮らしというのは手間がかかる。この広大な蓮笑庵では、庭の落ち葉を掃き清めることすら、ぼくにとっては重労働だろう。だから、そういう暮らしはおしゃれとか、サステナブルとかロハスとか、そういう言葉でごまかすのではなくて、はなから「心を鍛えるために行うものなんだ」と宣言してしまったほうがいいんだろうな。

めんどくせえと思ってしまう自分と向き合うのは楽しくない。でもそうして多少は背筋をピンと伸ばしていかないと、人間はいくらでも怠惰になる。めんどくさい、やりたくない、楽したい。そういう心(煩悩というやつか)を鍛え直すためにも、多少苦行めいた丁寧な暮らしを、この際少し学ばないとなあとお茶をすすりながら考えた。

そういや家の庭の芝生をなんとかしろと今朝がた母親に言われていたことを思い出した。また船引町に来る前に、やるべき苦行が小名浜にたくさんある。遠出しなくたって、ガイドブックや雑誌を見なくたって、自分の暮らしの足下に、丁寧な暮らしはいくらでも転がっているのだ。ああ苦行。

(終)