常磐の最果てから

福島県いわき市在住のライター、小松理虔のブログ。

天の我が材を生ずるや必ず用有り

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ずいぶんと余裕綽々の毎日を送っている。今日は平日だのに花見と決め込んだ。桜が見頃になったというのに、昨日までは天気に恵まれず、明日からは逆にずいぶんと天気が崩れるようだ。ならば今日しかない、ということで。

小名浜の自宅から車で10分。大畑公園の桜は八部咲き。なかなかの見頃である。

平日の昼間からぼんやりと桜を眺めながら缶ビールなんて飲んでていいのだろうか。フリーになったというのに、案の定、大きな仕事なんてほとんど決まらず、先行きは不透明でしかない。目下、追い込まれる要素しかないはずである。

ところが、ぼく本人は焦らずにのんびり構えていようと決めている。今まで社会で生きてきて刷り込まれるように教えられてきた「こうしなくちゃいけない」みたいなことを、一度自分の頭の中から取り払ってみたいというのもある。

ぼくの大好きな中国の詩人、李白の詩に「將に酒を進めんとす」という詩があって、こんな一節がある。

人生得意須盡歡  人生 意を得なば 須らく歡を盡くすべし
莫使金樽空對月  金樽をして空しく月に對せしむる莫かれ
天生我材必有用  天の我が材を生ずるや必ず用有り
千金散盡還復來  千金は散じ盡くすも還た復た來らん
烹羊宰牛且爲樂  羊を烹(に)、牛を宰(ほふ)りて且らく樂しみを爲さん
會須一飲三百杯  會らず須らく一飲三百杯なるべし

人生は、あるがままの自分を受け入れて楽しみ尽くさなくちゃいけない。黄金の酒樽を空しく月に向き合わせるようなことをしちゃダメだ。天が私を生んだからには必ずなすべきことがある。金なんてもんは使い果たしたってまた戻ってくるんだから、羊を煮て牛を料理し、楽しみ尽くそう。一度に300杯は飲むくらいの勢いで。

という意味。

李白は酒好きで有名で、酒に関する詩をいくつも残している。まあ、余裕ぶっこいて酒を飲んでていいのは李白のようにもともと才のある人間だけだ、というのはわかっているのだけれど、ただ、意味もなく「天の我が材を生ずるや必ず用有り」というのを、実はぼくも信じている。

やるべきことは、やるべきタイミングで、空から降ってくるように舞い降りてくる。舞い降りてこなければ、それはそういう自分でしかなかったのだ。諦めもつく。ただ、そういう「おーい仕事よ、空から降ってこい!」みたいな状況になってみなければ、自分が何者であるのかも実はよくわからないのではないか。

ダメならダメなりの道があるし、運が良ければ大金が舞い込んでくる道もある。どっちにしてもまあ道は切り拓いていく限り、できていくものなのだ。

美しく散るんじゃない。散ってもまた咲くってところがいいんじゃないかねえ。

(終)