常磐の最果てから

福島県いわき市在住のライター、小松理虔のブログ。

同じ釜のカレー

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気がついたらブログをほったらかしにしていた。

もしかしたら、ブログに書くようなことがない日のほうが、穏やかな一日だったということなのかもしれない。ほったらかしにしていたこの2ヶ月近くの時間を、ぼくはけっこう充実した気持ちで過ごしてきたつもりである。特別な何か、例えばSNSに投稿したくなるような何かなんて本当は必要なくて、SNSをやってるから特別なものだと思い込んでいるだけなのかもしれない。

と、そんなことを言っておきながら、

今日は入遠野に行ってきた。山さと農園の佐藤さんのところで、カレーを食べながらインドの映画を見ようというイベントがあったのだ。以前どこだかでビラをもらってからずっと気になっていたのだった。とにかくおいしいカレーが食べたくて。

仕事以外で何かのためにどこかに行く。久しぶりだ。

ビラの通りに車で向かうと、山の上になにやら豪華な山小屋が。農家民宿cozyという場所だそうだ。こんな建物が入遠野の山奥にあるのだから面白い。中も囲炉裏があったり、泊まって語り合ったら楽しいだろうなあと思わせるいい感じの和室がいくつもある。いろいろと妄想の膨らむ場所である。

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なぜ、山さと農園の佐藤さんが上映会を企画したのかというと、佐藤さん、インドの農村を支援する「アーシャ」というNPO団体に入っているそうで、何度もインドを訪れているそうだ。その関係で、今回インドのスタッフがいわきに来るのに合わせ、せっかくならみんなで映画見つつカレーを食べようぜ、と。そういうことのようだ。

出てきたカレーは本格的だった。スパイスが違う。米も、バスマチィ米という、インドで食されているものを炊いて用意してくれたものだ。インドのスタッフが作ってくれたカレーだけでなく、平にあるアズーロ、コノイエのお2人が作ったカレーもあった。とにかく贅沢である。カレーは飲み物ではない。じっくりと頂くものだと確信した。

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久しぶりにおいしいカレーを食べた。このカレーはああだ、このカレーはこうだ。そんな話をしながら、うんうんうなずきながら食べる。そりゃあ飲み物というわけにはいくまい。みんなして同じ場所で同じメシを食うのだ。おっちゃんもいれば、おねえちゃんもいる。サラリーマンもいれば金持ちもいるかもしれない。まあ、カレーを前にそんなことは関係ない。じっくり味わうべし。みたいなのがよい。

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映画は、『聖者たちの食卓(原題:Himself He Cooks)』という2011年の映画。シク教の総本山であるハリマンディル・サーヒブで毎日振る舞われる食事についてのドキュメンタリーだ。音声はほとんどなく、大量の食事が作られる様子が厳かに、そして淡々と描かれている。みんなでメシ作って、みんなでメシを食う。そこにある穏やかさ。

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共同食堂では、毎日10万人分の料理が作られるという。そしてそれをみな、無償のボランティアが支えている。シク教カーストを否定している。富める者も貧しい者も等しく食事を用意し、体を清め、そして、同じ釜のメシを食う。本当にシンプルなことが、贅沢に、特別なものに思えてしまう。ぼくらの食生活は本当に豊かなのだろうか。

ここでは、みんなが提供者であり、みんなが客だった。客とか店員とかそういうんじゃない。今だって「生産者」と「消費者」という、まったく反対の立場を示す言葉が都合良く使われるけれども、本来は、そう簡単に区別できないものなんじゃないかなあ。