常磐の最果てから

福島県いわき市在住のライター、小松理虔のブログ。

はじまりの美術館

とりたてて何かテーマを設けるわけではないのだけれど、日常の身の回りで体験したことや見聞きしたこと感じたことを、流れちゃうSNSではなくて、も少しきちんと構成されたものとして残しておきたいな、たぶんこれから残しておきたいことが増えてくるんじゃないかな、とか最近よく考えていて、今さらながらブログを残しておくことにした。

タイトルは、常磐の最果てから。

ぼくが住んでいるのは福島県いわき市。東北と呼ぶには雪が少な過ぎるし、東北なのに北関東って言っちゃうのも情けないし、かといって福島という言葉じゃ何やらいろいろ重たすぎる。そこで「常磐」という、常磐線ユーザーにしか馴染みがないが、しかし何やらとてもこの地域を言い表していそうないい感じの言葉をタイトルに入れて、この地から雑多に考えていこうじゃないか、というわけである。

最初のエントリなので、はじまりと呼ぶにふさわしい「はじまりの美術館」について書いておこうと思う。なんのことはない。今日、その美術館に行ってきたのだ。

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はじまりの美術館は、いわきからは車で2時間くらいの猪苗代町にある。前々から美術館の存在は知っていて、行かねばと思っていたものの、なかなか遠出するきっかけがなかったのだが、現在開催中の「ほくほく東北」という企画展に友人のドローイング作家tttttan.が出展しており、会期がなんと明日で終わる、こりゃあ見に行かねえと、ということでギリギリのタイミングで行ってきたのだった。

美術館は、とてもよかった。まず規模感がよかった。美術館とコミュニティスペースのいいとこどりのような空間になっていてとても居心地がよい。敷居も高くないし、かといってダラダラしてしまうでもない。ちょうどいい規模感なのである。

ちょうどいい規模感なので、大型の美術館よりも人との距離感が近く、学芸員の方も「学芸員」というよりは「知り合いの知り合い」みたいな感じで、いつの間にか友だちになったような感覚になってしまう。なんというか、「見に行く」というより「集まる」という感じの美術館なんだろうなあと直感した。

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美術館のコンセプトは「アール・ブリュット」。つまり「アウトサイダー・アート」である。芸術の訓練を受けておらず、現代アートのコンテクストや潮流に一切乗っからない自由な表現の作品のことを指すのだけれども、その新鮮な表現の第一歩を文字通りここから「はじめる」ための美術館ということで、「はじまりの美術館」なのだそうだ。

日展示されていた作品も、いずれもアウトサイダーアーティストによるものという理解でいいだろう。だいいち作品を展示している友人のtttttan.も「アーティスト」ではないし(彼本人は「線描家」という言葉を確か使っていたが)、本業の傍ら、空いた時間にしこしこと制作しているようなタイプである。しかし「だからこそ」コンテクスト抜きにシンプルに内面が発露され、アーティストではないぼくたちに届いてくるものがあるんじゃないかと思う。鑑賞の仕方を強制されるわけでもない。

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展示の仕方も面白かった。tttttan.の作品(写真・上)の傍らには、ハヤシラボ名義で花屋として活動している史緒の作品(写真・下)が展示されている。植物を使ったインスタレーションなのだが、美術館の柱から無造作に枝葉が伸び、tttttan.の作品にも干渉していたりするのだ。tttttan.の作品の右上には、史緒の作品の影が映り込んでいる。史緒の作品は、枝が線となり、2つの作品の境界線を曖昧にしているのである。

考えてみれば、史緒の作品は、屋外と屋内、作品と作品、生と死、さまざまな境界を曖昧にしていることに気づく。線とは、何かと何かを明確に区別するものなのに、史緒の線はそれをとても曖昧にしてしまうのだ。そこがとても面白かった。こういう多様な作品が展示される場ならではのものだろう。

福島を語ろうとすると、とかく二元論に陥ってしまいがちである。意識的にせよ無意識にせよ、どちらかの「側」に立って言葉を発してしまうことが多い。そうした自分を自認するからこそ、境界線を曖昧にしてしまうような2人の奥行きのある線に感じ入ってしまったのかもしれない。「境界線のなさ」は、「はじまりの美術館」にとてもふさわしいと感じた。

とまあ、こんな風にとても魅力的な空間なのだけれど、さきほど「集う」という言葉で言い表したように、ぼくはこの「はじまりの美術館」には「集う美術館」としての役割を期待したい。中心からは少し離れていて会津寄りだけれど、磐梯山猪苗代湖の近さは格別のものがある。福島県各地から多様な人たちが集うのに、とてもよい場所になると思う。

作品を見終えてカフェスペースでくつろいでいたら、船引町に住む友人がたまたまやってきて久しぶりに挨拶を交わすことができたし、その友人が連れていた別の方も、初めて会う人のはずなのに、話を聞けば、とあるメディアに寄稿しあうライター仲間だった。はじまりの美術館には、そういう力が確かにあるのだろう。

これからは、ハコモノに頼らず、市民や有志が少しずつ手間ひまをシェアしながら作り上げていくような場が必要だ。こういう小さな美術館をあちこちに持てるかが、地域の豊かさにつながっていくと思う。そして、そのような場だからこそ、税金や助成金をうまく投入しながら、「みんなの持ち物」として、長い目で育てていく必要があるように思う。

美術館でありカフェでもある。美術館でありコンサートホールにもなる。美術館であり集いの場にもなる。常にオルタナティブを身の内に抱えるような多様性は、このような小さな美術館だからこそ必要性に応じて生まれてくるものだと思うけれど(そうでもしないと続いていかない)、それゆえにぼくはこの「はじまりの美術館」に可能性を感じたし、なにか自分でも関われることがあるんじゃないかと、そんな期待をしてしまうのだ。

その意味では、猪苗代町近辺の住民だけでなく、もっと広く、福島県のはしからはしまでの人たちをここに集わせるような魅力あるコンテンツ、企画が必要になってくると思う。2時間車を運転してくるだけの理由になる仕掛けを切れ目なく繰り出していけるか。美術館の皆さんの企画力にも大いに期待したいところだ。どうか、地域と人に開かれた美術館であり続けてほしい。

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そうそう。美術館の脇には、「しおやぐら」というおそば屋さんが。山の恵みたっぷりの豊富なメニューと優しい味付けがよかった。ここでいっちょ腹ごしらえして、アウトサイダーたちの作品と向き合ってみてはいかがだろうか。参考までに、ぼくはけんちんそばと、山菜の天ぷらを食べたけど、次は鴨南蛮そばを食べるつもり。

4月18日からは、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN」が予定されている。入館料も200円!なので、また足を伸ばしてみようと思う。

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帰り際、せっかくだからと猪苗代湖に寄り、パンの耳を鳥たちに投げつけていたら、遠投した拍子に上着のポケットからケータイが飛び出して、猪苗代湖に入水してしまった。ほんとうはブログを悠長に書いてる余裕がないほど落ち込んでいる。いや、何かで気を紛らわせてないと自分への怒りが沸々と湧き出てくるといったほうが正確かもしれない。

今はただ、ジップロックとシリカゲルに祈りを捧げているところだ。

(終)